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もりもりジャーナル

日本共産党国政相談室長の 森つねと です。 私は「しんぶん赤旗」の記者として全道を駆け回り、懸命に生きる道民のみなさんの声を聞いてきました。 その頑張りを踏みにじる政治に、悔しさと怒りが込み上げます。 私、森つねとは、あなたの願いをまっすぐ国政に届けるために全力を尽くします。戦争する国づくりを許さない!泊原発を再稼働するな!

   
カテゴリー「伝えたい声」の記事一覧

国民のたたかいは後戻りしない――道庁前反原発抗議行動

金曜の夜と言えば・・道庁前反原発抗議行動です。私にとって「原点」の場。選挙後初めて参加しました。

選挙についてあれこれ語る場ではありませんが、6年間の国政をゆだねられた議員のみなさんには「自分の良心に従って行動してほしい」と訴えました。



さまざまなしがらみがあると思いますが、原発事故が起きれば、すべてが吹き飛んでしまいます。人生を狂わせる原発事故。その原発が、泊を含めて再稼働されようとしているときに、はっきり「ノー」と言えないのであれば、政治家としての役割を果たすことはできません。判断に迷ったときは、自分に投票してくれた有権者の笑顔を思い出してほしいと思います。事故が起こってからでは遅いのです。

国民の意識は先を進んでいます。

先日、北海道新聞が行った全道の世論調査では、「再稼働すべきではない」が約4割(39%)にのぼりました。原子力規制委員会の審査をクリアしたとしても「再稼働すべきでない」と答えているのです。「再稼働してもよい」は約3割(31%)にとどまりました。



司法も再び英断を下しました。

大津地裁は3月、高浜原発3、4号機の再稼働禁止を命じた仮処分決定をしていましたが、関西電力が異議申し立をしていました。これに対し、大津地裁は申し立てを却下し、再稼働を再び認めませんでした。決定にはこう書かれています。

「債務者(注:関西電力)は、本件各原発に具体的現実的危険性はなく、債権者らの指摘等は危惧感にすぎないものである旨主張する。しかしながら、既に述べたとおり、福島第一原子力発電所事故の前にも現実に存在した危険について、これを運転していた東京電力は覚地して対応することができなかった。加えて、福島第一原子力発電所事故の原因に関する疎明資料は不足しており、現状において原因究明が完遂したと一応にしても認めることはできず、そうすると、新規制基準にしたがって設置変更許可を受けたことそれ自体によって安全性が確保されたとみることはできない」

――福島原発事故を防ぐことができなかった教訓を踏まえるべきであり、事故の原因究明もされておらず、新規制基準をクリアしたからといって安全とは言えない、という明確な判断でした。

道庁前行動も丸4年が経ちましたが、権力を持つ者との綱引きは、まだしばらく続きます。しかし、福島原発事故の前に戻ることは、決してありません。原発ゼロが実現する日まで、これからもみなさんとともにたたかいます。再稼働反対!

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自分らしく生きるために――総がかり行動に参加して

安保法制=戦争法が強行されて10ヵ月目だった19日、「戦争をさせない北海道委員会」の総がかり行動に参加し札幌市内の中心街をデモ行進しました。そこには、揺るぎのない思いを抱いた市民の姿がありました。



多くの人々が絶望した強行採決。しかし、その後も国民のたたかいは止むことなく、戦争法廃止を求める2000万人署名は、短期間で10人に1人の国民が署名しました。

誰かが声を上げてくれるのを待つのではなく、主権者の一人として声を上げるー。民主主義を体現する活動が広がっています。

人権を守るために、憲法で権力を制限するのが「立憲主義」。憲法13条では「すべて国民は、個人として尊重される」と規定しています。戦争法を廃止し、立憲主義を取り戻すたたかいは、個人の尊厳を取り戻すたたかいでもあります。

基本的人権は「国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」と憲法12条で規定しています。安倍政権のように権力者が暴走することも憲法は想定し、国民の抵抗権と責務も明記しているのです。



こうした投稿ができるのも、表現の自由があるからこそ。

それは、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」であり、「過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託された」(憲法97条)ものです。この憲法97条(基本的人権の永久不可侵性)をばっさり削除しているのが、自民党の「日本国憲法改正草案」です。

国会で改憲勢力が3分の2を超えて、憲法改正の発議が可能となったいま、憲法を守り抜くことができるかどうかは国民のたたかいにかかっています。

私が、私らしく、あなたが、あなたらしく生きるために、自由を守るために、一緒に声を上げましょう。

会場では「元気そうな顔を見れて良かった」と声をかけてくれた方もいました。気にかけていただけるのは、ありがたいことです。ますます元気に頑張ります!

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10年後の君へ

6月26日は息子の1歳の誕生日でした。お祝いのメッセージなどをいただき、感謝の気持ちでいっぱいです。お一人ずつお礼をすることができないので、息子への「手紙」をもって、みなさんへのお礼に代えさせていただきます。息子はいま4600㌘を超え、小さいけれど元気です。長文ですので、お時間がある方はお読みください。また、超低体重児のお子さんがいるご家族にとって、少しでも希望になれば幸いです。
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【10年後の君へ】

お母さんのお腹の中で君が生まれたとき、お父さんは本当に嬉しかったんだよ。お腹の中にいる君の写真を初めて見たとき、エンドウ豆みたいで、愛おしくて泣いちゃった。

お母さんが君を産むとき、きっと大変な思いをするだろうから、お母さんの手を握っていようかな、それとも気が散るかもしれないから、やっぱり分娩室の外で待っていた方がいいかなと、あれこれ考えていたよ。でも、生まれたときには、きっと喜びに満ちあふれていると信じて疑わなかった。

しばらくして、お母さんの具合が悪くなって、君もどんどん元気がなくなって、手術をして君をお腹の中から取り出すことにしたんだ。



お母さんは強い人だから、普段泣いたりはしないけれど、手術室に入るときは不安でいっぱいだった。絶対に手術が成功して、二人とも生きていてほしいと、お父さんも祈るような気持ちだったよ。

しばらくして、保育器という透明な箱に入った君が出てきた。生きているんだって、すごく嬉しかったよ。でも、その姿を見て、とてもびっくりした。これまで見たことがないような小さな、小さな赤ちゃんだったんだ。体重は658㌘。手のひらに乗るくらいの大きさで、自分で息もできなくて苦しそうだった。お父さんは「頑張れ、頑張れ」って、何度も声をかけたよ。



そして、お母さんも手術室から出てきた。だいぶ血が出たけれど、お母さんも無事で本当に安心したよ。



その後、お医者さんが、お父さんとお母さんを心配させないように、ゆっくりと説明してくれた。とっても小さく生まれたから、まだ体の機能が十分ではなかったんだ。お医者さんも「大丈夫」だとは言えなかった。

お父さんはお母さんを何とか励まそうとしたけれど、「死んじゃったらどうするの」って大きな声で言われて、やっぱりお父さんも心配だったけど、君は強い子だからきっと大丈夫だと信じることにしたんだ。そして、夜通し名前を考えた――。



君の名前には「過去・現在・未来へと続く命のリレーを果たしたあなたは、家族の希望であり、人びとの希望」という願いが込められているよ。

後になって、この名前に間違いはなかったとわかったんだ。

お父さんは家にいることが少ないし、なかなか君と遊べなくてごめんね。本当はお父さんも寂しいよ。君が生まれる直前も、お父さんは「選挙」に出ることを決めて、北海道中を回っていたんだけど、君が急に生まれることになった。それからは仕事をしながら毎日病院に通って、お母さんとお母さんのお乳を運んでいたんだ。君に会えることはすごく嬉しかった。「今日も生きていてくれてありがとう」って、ケースの中の君にいつも感謝していたよ。

でも、お父さんも少しだけ大変だったかな。そんなお父さんの姿を見て、お父さんの仲間たちや、たくさんの人が励ましてくれたよ。君も、お母さんも大丈夫だと伝えると、涙を流して喜んでくれる人もいた。お父さんも、君も、一人じゃないし、君の存在がみんなの希望になっているとわかったんだ。他人のことなのに、自分のことのように考え、支え合うことができる社会って、とても素敵だと思ったよ。

それから、君を一日中、支えてくれたのはお医者さんや看護師さん。体調の変化を少しも見過ごさず、24時間、注意深く見守ってくれた。命の恩人だよ。

もちろん、君自身がものすごく頑張った。生まれてから何度も具合が悪くなったけど、君は決して生きることを諦めず、耐え抜いた。そして、ゆっくりとだけれども、体も大きくなって、3ヵ月と少ししてから退院することができたんだ。お母さんはとても嬉しくて、でもまだまだ心配で、目を真っ赤に腫らしていたよ。そんなことは何も気にしない様子で、君は初めて外の空気に触れた。一瞬、びっくりして目を開けたけれど、また目を閉じて、眠りについたね。



ところで、君がNICU(新生児集中治療室)の保育器の中にいたとき、お父さんの指を握ってくれたのは覚えていないよね。お父さんの親指の半分くらいしかない小さな手で、ぎゅっと握ってくれたんだよ。こんな小さな子にも力がある。ちゃんと生きようとしているんだって・・。



10年後、君が生きている日本はどんな社会になっているかな。お父さんは、君が、君らしく生きられる社会にしたいと思って、いま「選挙」をしているよ。

年頃の君は、これから自分と向き合うことが増えてくるかもしれないね。トンネルの中をさまようように、生きることについて自問自答することもあると思う。そんなとき、ひとつだけ、忘れないでほしい。それは、命はひとつしかないということ――。誰の命もかけがえのないものだし、誰とも替わることができないよ。もちろん、君自身も。そして、そのことを一番大切にしているのが、日本国憲法なんだ。



それから、もうひとつ覚えておいてね。ときどき君のことを叱るけれど、君はいくつになっても、お父さんとお母さんの大切な子どもだよ。

生まれてきてくれてありがとう。生きていてくれて、ありがとう。

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“もうすぐ1歳”――子育て応援の政治へ

今日は保育園で息子がお誕生会に参加しました。え?保育園?と思われた方もいるかもしれません。すっかりご報告のタイミングを逃してしまったのですが、4月から息子は保育園に通っています。

息子は0歳児クラスで最小。もちろん、保育園全体でも最小です。「ちいさ~い。かわい~い」と1歳児から抱っこされる(もちろん保育士の手助けがありますが・・)こともあり、保育園では人気者だとか。本人もまんざらでもない様子で、得意の屈伸運動で短い手、足を動かして期待?に応えているそうです。

保育士さんが首から下げるお祝いの装飾をプレゼントしてくれました。そして、もうひとつのメッセージカードの裏には手形が。「こんなに大きくなったのか」と驚き、その瞬間、頭の中で時間が逆回転しました。



超低体重児として生死をさまよい、私の親指の半分ほどしかなかった息子の手。それが、3倍くらいに大きくなっていたのです。体重も4,600㌘を超えました。

そんな息子は、今月26日に1歳を迎えます。

22日が参院選の公示ですから、おそらく26日は息子に会うことはできないと思います。少し残念ですが、全道のみなさんからこれまで、本当にたくさんの激励を受けてきたので、選挙戦はその恩返しのためにもたたかい抜きます。



思えばこの1年は、息子とともに歩んできた1年でもありました。

昨年の6月初旬に立候補を表明し、その直後に緊急入院・手術で出生。3カ月以上の間、NICU(新生児集中治療室)に入っていた息子を見守り、札幌にいる間は毎日、妻と母乳を運んで病院に通い続けました。

たくさんの人たちの期待を背負っての活動を休止するわけにはいきません。病院と活動場所を行ったり来たりするなかで、「いったい何をやっているのだろう」と自分を見失ったこともあったと思います。

そんなとき、ある支持者の女性がこんなことを言ってくれました。「な~んも、無理して函館まで来なくてよかったのに~。私たちが頑張るんだから~」。この言葉に、どれほど励まされたでしょうか。それだけではありません。全道のみなさんが、会うたびに息子や妻の様子を気にかけていただき、ときには一緒に涙を流してくれたのです。「子どもは社会の宝」だと身をもって感じ、「この子らの命を守るために、自分はいま走り続けているんだ」と自分を取り戻すことができました。



退院してからも気が休まるときはありませんでした。最初のころは、腹が減って泣いているのか、具合が悪いのか判断に悩みました。寝ているときの体勢や呼吸の有無はいつも気にかけていました。

妻も働いているので、仕事に出るようになると、子どもの扱いに困りました。退院後すぐに入所を申し込みましたが、0歳児の空きはありませんでした。そこで大活躍してくれたのが私の両親でした。「困ったらいつでも声をかけてね」と日中、面倒を見てくれました。もし遠方で暮らしていたらお手上げ状態だったと思います。妻の職場の方々も困難な状況のなかで配慮してくれました。これには本当に感謝しています。

しかし、どの家庭でも家族で対応できるわけではないし、職場の理解を得られない人もいます。とりわけ、1人親世帯では深刻です。「仕事をしたい」➡「保育所に入れない」➡「仕事ができない(していない)」➡「保育所に入れない」と悪循環に陥っているケースも少なくありません。日本共産党は30万人分の認可保育所を緊急に増設することを提言していますが、これはぜひとも実現したい。



私は「イクメン」という言葉が嫌いで、男性が育児を行うのは当然だと思います。少々体がきつくても息子の入浴は私の役割だし、ミルクやおむつ替えも可能な限り行います。それでも、妻に負担をかけていると感じます。日本の夫の家事・育児の時間は先進国で最低クラス。男性の認識をあらためる必要もあるでしょう。けれども、3割以上の男性が長時間労働になっている現状で、「子どもが寝てからしか会えない」というお父さんも多い。やっぱり、ブラックな働き方にメスを入れ、世界でも異常な長時間労働を法律で規制する必要があります。

ところで、NICUの予算を増やすために奔走したのは、27年前に北海道選挙区で当選した日本共産党の高崎裕子さんでした。私の息子はNICUに入れたからこそ、命をつなぐことができました。高崎さんの活躍がなければ、もしかすると、息子はいなかったかもしれません。

政治のあり方は私たちの暮らしに直結しています。子育てをしながら、あらためて実感する毎日です。いま、国民の選択で政治を変えることができる希望ある時代に入っています。あなたの声に応え、あなたと一緒に政治を変えるために、明日も全力で駆け抜けます。

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日本の新しい歴史が、ここから始まる

候補者にとって演説は“命”です。何をメッセージとして伝えるか悩み、葛藤し、ぎりぎりのところで生み出された言葉は、予想を超えて相手の心に響き、波のように広がっていきます。自分もいつか、そんな訴えをしてみたいといつも思います。

いま、人々の心をとらえて離さない女性がいます。

池田まきさん。衆院北海道5区補選の候補として、最前線を駆け抜けています。



「幼少期から家庭内暴力を受け、おびえながら生きてきました。社会や学校は助けてくれませんでした。でも、一人ひとりが生きていく大事な権利があると信じていました」

「やがて新しい家庭ができましたが、再び試練が訪れました。法律や制度の壁に払いのけられても、憲法の精神にもとづいた生きていく道があると信じ、介護や福祉の現場で20年働いてきました」

「大事なことが決まる政治の場面ではいまだに、国民・市民が置いてきぼりになっています。そんな国でいいのでしょうか。政治の場面でも、誰一人置いてきぼりにしない社会をつくっていきたい」

不特定多数の人に自分を語るのは勇気がいることです。思い出したくないようなネガティブな過去は、とくにそうでしょう。しかし、池田まきさんは、こうした過去もさらしながら、等身大の自分をぶつけてきます。さらに、安倍政権によって立憲主義が壊されているとき、憲法との関わりで自分の存在、社会を変える展望を語る――。ここに、多くの人たちの心が揺り動かされているのだと思います。



戦争法廃止、立憲主義回復にむけた5野党(当時)合意と、衆院道5区補選で共産・民主(当時)両党が協定に調印した翌日の2月20日、私は畠山和也衆院議員と街頭から訴えました。

そこで偶然、通りかかった池田まきさん。一瞬、お互いの動きが止まりました。しかし、手を差し伸べると、池田さんは笑顔で握手に応じてくれました。ぎこちなかった野党共闘はいま、紆余曲折を経ながらも力強く歩み出しています。5区補選では、旧知の間柄のような関係を築き、それぞれの政党が全力で池田まきさんを押し上げています。もちろん、この選挙の主役は市民です。最後にもう一度、池田まきさんの演説から。



「多くの政党がつながって、市民がつながれば、絶対に負けないと思っています。私は本気です。みんなも本気だと思います」

日本の歴史上、初めて野党共闘と市民の連合が自民党と対決する国政選挙です。日本の新しい歴史が、ここから始まります。

私も、池田まきさんを心から、応援します。

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プロフィール

HN:
森つねと
年齢:
39
性別:
男性
誕生日:
1978/01/20
職業:
国政相談室長
自己紹介:
1978年 札幌市白石区生まれ
1990年 東川下小学校卒業
1993年 北都中学校卒業
1996年 北広島西高校卒業
2000年
北海道東海大学 国際文化学部卒業。白石区で共同学童保育所の指導員
2001年
日本共産党北海道委員会 青年学生部
2010年 「しんぶん赤旗」記者
2012年
衆院道小選挙区3区候補者
2013年
参院道選挙区候補者
2015年
道議選白石区選挙区候補者
2016年
参院道選挙区候補者

日本民主青年同盟道常任委員を歴任。原発問題全道連絡会理事
 
家族:妻、子(2歳)

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