今日、8月14日は父の命日でした。
身体を動かすことが好きで、若い頃からサッカーや野球、スキー、水泳などで汗を流し、少林寺拳法では指導的役割も。
3人兄弟の長男で、責任感が強く、家族・親戚の間でも職場でも慕われ、父の周りではいつも笑い声が絶えませんでした。
そんな父の人生が狂ったのは今から5年前。新型コロナウイルスに感染したことです。東京五輪のテストマラソンが札幌で強行された直後の出来事でした。
40度の高熱が続きましたが、感染爆発の影響で市内の病院のベッドは満床。クリニックで処方された解熱剤のお守り一つで「自宅療養」せざるを得ませんでした。
ようやくベッドに空きができ入院することができたのは1週間後。体が丈夫だった父は、すぐに帰れると思っていたようです。
しかし、検査をすると重篤な肺炎であることがわかり、治療が始まります。その後、若干の改善と悪化を繰り返しながら何度も呼吸困難に。その度に私と母は病院へ駆け付け、医師から説明を受けました
しばらくしてウイルスが陰性になった頃、念願だった面会が叶いました。
変わり果てた父の姿。気管切開をして人工呼吸器を付けたことで、話すことができません。ウイルスの影響か、筋力がまったく衰え、ほとんど手足を動かすこともできなくなっていました。
それでも、満面の笑みで私たち家族を迎えてくれた父。死の淵をさまよい、生還した喜びとともに、家族を心配させたくないという思いが伝わりました。
父は私たちに何かを伝えようとしていましたが、よくわかりません。一生懸命に話そうとするとすぐに呼吸が苦しくなり、ベッドの傍らにあるモニターからアラーム音が病室に響き渡りました。
「話したらだめだ」。私は父に声をかけ、母と一緒に状況をただ見守ることしかできませんでした。病室の外から聞こえる元気なセミの鳴き声が対照的で、絶望的な状況を浮き彫りにしていました。
医師から説明を受けた私たちに対し、病室の外にいた看護師さんが、「大丈夫なのでしょうか」と目を赤くはらしながら声をかけてくれました。少し驚きましたが、あらためて事態の厳しさを理解するとともに、懸命に看護していただいていることに感謝の気持ちでいっぱいになりました。
このとき、すでに肺胞はほとんど潰れていましたが、状態が安定していたことから専門の病院に転院。しかし、しばらくして急変し、さらに高度に治療できる病院に搬送されました。
搬送される前に病院に駆け付けると、担架で運ばれ救急車に乗る前の父に会うことができました。「森さーん、息子さんが来ましたよー」と医師が声をかけると、最後の力を振り絞り、ほんの少し首を上げて私の方を見てくれた父。もう笑顔はありません。生きている父の最後の姿でした。
転院先の病院では面会謝絶となり、ほどなくして3カ月の闘病生活の甲斐なく絶命。69歳でした。
この日から家族の歯車が狂い始め、とりわけ、50年近く父に寄り添った母親の落胆は著しく、重い障害を持つ息子の支え手を失った影響も甚大でした。
コロナ発症直後、適切に治療を受けることができていれば、父はまだ生きていたかもしれません。
いま政府は新「地域医療構想」に基づき、自治体に対し、地域医療の再編・集約を押し付けようとしています。2040年にむけて、高度急性期・急性期の病床をほぼ半減、28.6万床も削減する計画です。
すでに医療機関は、長年にわたる診療報酬の抑制と物価高騰、さらに医師・看護師など医療従事者の深刻な不足で疲弊し、医療崩壊の危機に直面しています。
新たなパンデミックや大規模災害に備えて、余裕を持った病床と人員体制を確保しておくことが絶対に必要です。
父が戻って来ることはありませんが、父のような苦しみを誰にも体験してほしくない。いのちを支える医療体制の充実は、遺族である私の使命です。
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