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もりもりジャーナル

日本共産党道政・政策委員長の 森つねと です。 私は「しんぶん赤旗」の記者として全道を駆け回り、懸命に生きる道民のみなさんの声を聞いてきました。 その頑張りを踏みにじる政治に、悔しさと怒りが込み上げます。 私、森つねとは、あなたの願いをまっすぐ道政に届けるために全力を尽くします。戦争する国づくりを許さない!泊原発を再稼働するな!

   

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歴史の教訓に学び、真の追悼を

12月8日はアジア・太平洋戦争が開始された日でした。

治安維持法犠牲者国会賠償要求同盟北海道本部のみなさんとともに、札幌の中心街で宣伝しました。

75年前のこの日、日本軍がハワイの真珠湾を攻撃したことは知られています。同時に、当時イギリス領のマレー半島に上陸・攻撃したことはあまり伝えられません。

日本軍は1931年の「満州事変」から始まり、中国東北部から中国全土へと侵略地域を拡大。こうした侵略戦争が行き詰まり、国際的にも包囲されるなかでハワイ攻撃に踏み切りました。



いわゆる「15年戦争」で亡くなった日本国民は310万人。アジアの人びとは2000万人以上にのぼります。75年たった今でも、悲しみが癒えることはありません。

ところで、安倍首相は、今月末にハワイを訪れ、犠牲者を「慰霊」する考えを示しました。一方で、「未来に向けてさらなる同盟強化の意義を世界に発信する機会にしたい」とも。

地球規模の軍事同盟に大きく変質させた日米新ガイドラインを具体化するために、安保法制=戦争法を強行した安倍政権。「戦争する国」づくりと犠牲者の追悼に矛盾はないのでしょうか。

アジア・太平洋戦争に突入する過程でも、世界情勢を見誤り、「バスに乗り遅れるな」と日独伊軍事同盟を締結。泥沼の戦争で多大な犠牲を生みました。歴史の教訓に学び、同じ轍を踏まないことこそ、すべての犠牲者への真の追悼になると、私は思います。

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この子とともに

立候補表明をした翌朝、妻が息子にミルクを与えていると、突然の嘔吐。体温を計ると熱も高い状況でした。当然、保育園は休まなければなりません。

「今日休める?」「う~ん、厳しいな・・」「私も・・」

大至急、互いに時間をやりくりして病院へ。嫌な予感が当たり、結果は「即入院」。RSウイルスで気管支炎になっていました。

RSウイルスは呼吸器の感染症で、2歳までにほとんどの子が感染すると言われています。まれに重症化するのですが、超低体重でさまざまな疾患を持って生まれた息子も、少なくない影響を受けてしまいました。

妻と交代で付き添い、病院で寝泊まりも。



薄暗いベッドで、ときどき苦しそうに咳き込む息子の姿を見ていると、ふと頭をよぎりました。「去年も同じだったな・・」。

昨年6月に参院選の立候補表明を行い、直後に妻が緊急手術で出産。病院と活動場所を行き来する生活が続きました。

昨年のときのように、生死をさ迷う状態ではないので、気持ちはずっと楽ですが、「この子とともに生きていくんだ」という自覚を新たにします。

退院までまだ時間を要しますが、治療の効果もあって比較的落ち着いています。

家族の介護や育児、自身の病気やケガ、過労死さえ生むような過酷な職場・・。誰もが悩みを抱えながら生きています。私も生活者の一人として、家族を支えながら、そこで感じたことを政治に反映できるように頑張りたい。

まずは、早く治りますように。元気な姿を披露できることを願っています。

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未来をかけた新たな挑戦

未来をかけた新たな挑戦です。

今日午後、道政記者クラブで記者会見を行い、衆院北海道1区(札幌市中央区・西区・南区)から立候補することを表明しました。日本共産党北海道委員会の千葉隆書記長、同4区から立候補を決意した佐々木明美さんも同席。これで、道内の12選挙区のうち、5区を除いて全選挙区での党公認候補が決まりました。



私が決意した最大の動機は、次期総選挙で、安倍政権を倒すこと。少なくとも、3分の2を超える改憲勢力を崩す。そのために、野党共闘を必ず成功させたいからです。

私は2012年に国政に挑戦して以来、一貫して、原発再稼働反対を訴えてきましたが、野党の共通公約の中に、原発問題も盛り込みたい。自民・公明の安倍政権に変わって、「これなら安心して任せられる」という政権交代のビジョンを野党として示すことが必要です。

自民党政治を終わらせる条件と可能性が高まっている今、市民のみなさんと手を取り合い、野党連合政権をつくる。その大役を果たすことができるよう、私の党員人生にかけて挑んでいきたいと思います。みなさんのご支援を、よろしくお願いします。

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台風被害の復旧・復興は道半ば――救援募金を被災自治体に届けました

全国から日本共産党に寄せられた北海道の台風災害の救援募金目録を届けるため、被災した自治体を先週、訪れました。上川管内の南富良野町と十勝管内の新得町、清水町、芽室町、足寄町、本別町の6自治体で、党道委員会の千葉隆書記長、佐々木とし子衆院小選挙区道11区候補らと訪問。一連の被害から3カ月が経過しましたが、復旧・復興は道半ばで、今後の教訓も浮き彫りになっていました。

寄せられた募金の総額は、308万9052円です。全国のみなさんのお気持ちに胸がいっぱいです。救援ボランティアで活用した分を除き、上記の6町に全額を届けました。



最初に訪れたのは、堤防が決壊し、町の中心部を含めて広範囲に浸水した南富良野町です。被災した直後に訪れたときは、町役場の玄関先まで救援物資の段ボール箱が積み上げられ、職員が受話器にかじりついて町民からの問い合わせに応じていましたが、今回の訪問では一見すると平静さを取り戻しているように見えました。



久しぶりの再会となった池部彰町長は、募金への謝意を述べるとともに、金山ダムが防災の役割も果たせるよう、ダムの底の掘削と強化を訴えました。さらに、「心労で苦しんでいる町民も多い」と心のケアの必要性を述べました。



同じことを語ったのは清水町の髙薄渡町長です。「人間だから心が病む。どう回復させるかが課題だ」と語ります。河川の氾濫で24の橋と80カ所の道路が被害を受け、職員の住宅も濁流に流されました。1級河川への格上げを訴えています。



「こんな災害は私たちも経験がない」。芽室町の宮西義憲町長は、計画高水位(堤防が耐えられる最高の水位)が本州より低く、築堤の強度も弱いことを指摘し、「かつて国がつくった基準を見直してほしい」と要望。農地の復旧限度額の算定基準が本州より大幅に低いことについても改善を求めました。



本別町の髙橋正夫町長は「災害査定には期限があるが、柔軟に対応してほしい」「現状復帰が原則というが、それ以上の場合も災害復旧の一環として認めてほしい」と、同じ災害をくり返さないための復旧工事の必要性を強調しました。



「農家は来年の営農への不安が大きいと思う」と農民の思いを代弁した足寄町の渡辺俊一副町長は、夜間に避難する難しさを指摘。早い段階で自主避難を呼びかけた経験を語り、堤防を超えて河川が氾濫したことから、堤防のかさ上げを求めました。



新得町の担当者も、夜間に避難する難しさを語るとともに、「道管理の河川が溢れるとは」と当時の思いを振り返り、道から事前に連絡がなかったことを明かしました。

ところで、被災地を訪問したのは、JR北海道が大幅な事業見直しを発表した直後でした。見直しによって根室本線がなくなり、町から駅がなくなる可能性がある南富良野町の池部町長は、「JR北海道の発表は絶対におかしい。道もJR北海道一社に任せておいていいのか。JRと沿線の市町村だけの話し合いに任せてよいはずがない」「上下分離を言うなら、『下』は国であるべきだ」と、怒りをあらわにしました。

本別町の髙橋町長も憤りを隠しません。「かつての『ふるさと銀河線』と同じ構図だ。『ふるさと銀河線』も当初、基金を積み運用益も含めて運行資金にあてていたが廃線になった。(今回のJR北海道の発表は)JRの赤字とは別問題だ。(鉄路の存続にむけて)『オール北海道』で声を上げなければならない」。

災害の復旧・復興のみならず、地域を守り、力を引き出すための国の役割はますます重要です。

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「20歳」の誕生日

「20歳」の誕生日を11月30日に迎えました。

もちろん、実年齢ではありません。日本共産党に入党して20年の節目。やっと“成人”としてのスタート地点に立ったばかりというところでしょうか。

入党したのは大学1年生のとき。当時、日本共産党と無縁だった私にとって、日本共産党に入党することは高いハードルでした。96年は日本共産党が総選挙で大幅に議席を伸ばし、「第2の躍進」を開始したときでしたが、「日本共産党を除く」という体制が色濃く残り、「ソ連が崩壊したのだから、社会主義も終わった」という反共攻撃の影響も私自身、強く受けていました。

そんな私が入党を決意することができたのは、大学生活を親身に支えてくれ、政治や社会の疑問についても丁寧に答えてくれた先輩党員の存在があったからこそだと思います。

「自分も誰かを励ますことができる人間になりたい」「微力でも政治を変える力になりたい」と、がむしゃらに走ってきた20年。失敗や後悔は数えきれないし、苦労もあります。けれども、野党と市民の共闘に象徴されるような、新しい時代を切り開く力のひとつになっているとしたら、これ以上の喜びはありません。



先日、札幌市内で日本共産党員を迎えました。戦争を体験した80代の女性です。

とても明るい女性ですが、党支部のみなさんと入党を呼びかけると、「自分にはできない」と固辞されました。話しをするにつれて、その理由がわかりました。

戦時中、国民学校に女性が通っていた頃、牛を飼っている近所の男性宅へ行き牛乳を買うことがあったそうです。すると必ず、「ありがとうございます」と言って、深々とおじぎをされたといいます。「自分のような子どもにも、丁寧に接してくれる大人がいる」と、その後の人生でも強烈に印象に残りました。

戦後になって、その男性は共産党員だったということがわかった女性。それをきっかけに、党への信頼を深め、選挙で日本共産党に投票し続けてきたそうです。「戦争だけはだめ」だという信念も、女性は持ち続けてきました。

「私たちは完ぺきな人間集団ではありません。理想の党員像を追い求めながらも、信念を貫くために党に入り、一緒に成長しましょう」との呼びかけに、快く入党を決意してくれました。

入党の呼びかけには、30年前にも入党を呼びかけた党支部の女性も同席。「30年来の夢だった」と涙ながらに語り、握手を交わしていました。その姿に私も思わず、目頭が熱くなりました。

自分の人生と社会進歩を重ね合わせて生きるのが、日本共産党員の生き方です。私の成長も、社会の発展も終わりはありません。21年目も、自分に限界を設けず、一歩一歩、雪面を踏みしめるように歩き続けたいと思います。

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カウンター

プロフィール

HN:
森つねと
年齢:
46
性別:
男性
誕生日:
1978/01/20
職業:
道政・政策委員長
自己紹介:
1978年 札幌市白石区生まれ
1990年 東川下小学校卒業
1993年 北都中学校卒業
1996年 北広島西高校卒業
2000年
北海道東海大学 国際文化学部卒業。白石区で共同学童保育所の指導員
2001年
日本共産党北海道委員会 青年・学生部
2010年 「しんぶん赤旗」記者
2012年
衆院道小選挙区3区候補者
2013年
参院道選挙区候補者
2015年
道議会白石区選挙区候補者
2016年
参院道選挙区候補者
2017年
衆院道小選挙区1区予定候補者(野党共闘のため立候補を辞退)
2019年
道議会中央区選挙区候補者
2023年
道議会中央区選挙区予定候補者

日本民主青年同盟道常任委員、原発問題全道連絡会理事を歴任。
 
家族:妻、子(7歳)

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