3・11東日本大震災・福島第一原発事故の発生日に合わせた原発ゼロ宣伝を行いました。事故直後から、日本共産党札幌中央地区委員会が毎月実施しているもの。
あの日から15年半が経ちましたが、事故は収束しておらず、収束の見通しもまったく立っていません。こうしたなかで、どうして原発の再稼働や建て替えができるでしょうか。
原発も核兵器もいりません。
今日は通算3085安打というプロ野球界の金字塔を打ち立て、一昨日、86年の人生を閉じた張本勲さんのお話をさせてもらいました。
張本さんは、プロ野球界のご意見番として晩年まで活躍されましたが、その人生は壮絶でした。
4歳のとき、たき火で重いやけどを負い、3本の指が欠損。2本の指も曲がったままに。在日韓国人として、いわれなき差別にも苦しみました。
張本さんを語るうえで忘れてはならないのが、張本さん自身が被爆者だということです。
5歳のとき、爆心地から2㌔離れた広島市の自宅の玄関先で被爆。背後にある山が盾になって、命拾いします。しかし、勤労動員にかりだされていた6歳上の姉は、爆心地から1㌔の山頂で被爆しました。
大好きだった「自慢の姉」。全身に大やけどを負って赤くはれあがり、「熱いよ」「痛いよ」とうめき声を上げながら亡くなっていったといいます。
晩年になってから被爆体験を語り始めた張本さん。若い人の中で、戦争や原爆の悲惨さが風化していることに危機感を覚えたことがきっかけでした。
2009年1月には、「しんぶん赤旗」日曜版で市田忠義書記局長(当時)と対談し、次のように述べています。
「自分の意見が通らないから戦争をする、核兵器で脅すなどというのはどうみても間違っている。人間は知恵があるのだから。いろんな意見があっても、話し合いで、と思いますね」
原爆や戦争も、原発事故も、忘れない、語り継ぐということが、同じ悲劇を繰り返さない力になります。
張本勲さんの言葉を噛みしめて生きていきたいと思います。
合掌
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