少し前のことになりますが、息子が10歳になりました。息子は誕生会が大好きで、「ハッピーバースデー」の歌を歌うと喜び、何度もリクエストして拍手します。
息子の誕生日は私たち家族にとっても特別な日です。今から10年前、早産で生まれた息子は658㌘でした。慌ただしく手術室から運ばれてきた息子はあまりにも小さく、とっさに写真を撮りました。生きていた証を残しておかなければという思いからだったと思います。泣き声も聞き取れないほどか細い声でした。
参議院選挙の少し前で、北海道選挙区から立候補を表明したばかりの頃でした。立候補の辞退も考えましたが、「やれるところまでやってみよう」と無我夢中で育児と活動の両立を模索し、家族と仲間が支えてくれました。
毎晩、息子のいる病院に通って、医師と看護師の方々から経過説明を聞き、綿棒にほんの少し母乳をつけて飲ませたりしました。NICU(新生児集中治療室)での生活は3カ月に及びましたが、24時間、細心の注意を払い、献身的に治療と介助をしていただいたおかげで無事退院。看護師の方々も一緒に泣いてお祝いしてくれたことを昨日のことのように覚えています。
その後も何度も入退院をくり返しましたが、一歩一歩、丈夫な身体になっていきました。しかし、この10年間の歩みは決して平たんなものではありませんでした。それは息子にとっても、家族にとっても、模索と葛藤、格闘の日々でした。
息子は人との関わりを強く求めていますが、言葉を使って自分の意思を伝えることがあまりできません。本人にとってはストレスで、なるべく理解しようと心がけて対応しますが、わかってあげられないこともあります。
そんな息子が最近、新しい言葉を覚えました。「おでかけ」です。身体を使った遊びや外に出ることが好きな息子。「おでかけしようか」と言うと満面の笑みで喜びます。ところが、自分で言うと、どうしても「おかけで」になってしまう。私との間では十分通じますが、日頃あまり接しない人にはわかりません。
息子を傷つけないようにしながら、彼のペースで「おでかけ」の発声練習をすること数年間で推定2000回。ついに最近、「おでかけ」と言えるようになりました。そのときの嬉しそうな表情といったら…。「わかりたい」「できるようになりたい」という思いとともに、「期待に応えたい」という思いを様々な場面で感じます。
彼の成長を支え促すうえで、問われているのは私自身です。私に気持ちの余裕があるときは彼も穏やかですが、そうでない場合はイライラして攻撃的に。そんなときは何とか落ち着かせようと努力しますが、絶望的な状況になることもあります。簡単ではありませんが、彼が心穏やかに過ごせるよう私自身の環境を変えていかなければと強く思います。
元来優しい子です。彼にとっては少し難しい、内面を表す言葉を意識して話したり、問いかけるようにしていますが、先日は「あー、お父さん、今日は少し疲れたなー」というと、「お疲れ様」と返してくれました。言葉のキャッチボール自体が難しいなかで、的確かつ気の利いた返答をしてくれた息子を抱きしめました。
最近、「◯◯ファースト」という言葉が流行っていますが、経済的にも精神的にもゆとりがなく、社会から置いてきぼりにされるなかで、自分のことをもっと大切にしてほしいという願いから惹かれているようにも思います。しかし、元来、人びとが支え合って成り立っている社会において、自分だけ豊かになることはあり得ないことであり、結局のところ、誰かを差別し、排除することにつながります。生きる困難さの背景に何があるのか、真の原因を見極めなければなりません。
命の重さに違いはありません。この世に生まれてきた人すべてが等しく大切にされ、自分らしく生きられる社会をつくるために、これからも息子の生き様に学びながら歩んでいきたいと思います。

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