「おかぁしゃん、どこいくの」
数日前、妻が買い物に出かけようと準備していたとき、息子が話した言葉です。しっかりとした発声で、しかも伝えたい思いを表現していることに驚きました。
これまでも、見たもの聞いたことを単語で言い表すことはできましたが、自分の思いをまとまって話すことはあまりできませんでした。画期的な変化です。
あのとき、こんな姿は想像すらできませんでした。
4年前の昨日、息子が誕生しました。
「お子さんの元気がなくなりました。これから手術します」
事務所で仕事をしていたとき、病院から私の携帯に突然、電話が入りました。
出産予定日より3カ月も前。心を落ち着かせながら急いで病院に駆け付けると、ちょうど妻がオペ室に入る直前でした。「大丈夫、大丈夫」と手を握って送り出したものの、待ち時間はとても長く感じました。
しばらくして、保育器の中に入った息子が慌ただしく出てきました。「生きていた」と喜びも束の間、その姿を見て言葉を失いました。「小さい・・」。
泣いてはいるけれど、声は聞こえません。苦しみの表情に胸が押しつぶされる思いでした。658㌘でした。
あの日から4年。毎日が奇跡でした。
あらゆる息子の営みは、すべて生きるためのもの。その一つひとつに感動しながら、家族で喜びを共有してきました。
同年代の子より、だいぶ体は小さいけれど、保育園ではクラス一番の食いしん坊です。外で元気に歩き回ることや、絵本や雑誌を食い入るように見つめて″情報収集″することが大好き。歌を歌うのもとっても上手です。
一方、成長と発達のための治療や訓練は続いています。たくさんの方々の支えが今でも欠かせません。
同年齢の子にとっても、息子は″守ってあげる″対象のようで、「抱っこしてあげる」と声がかかります。親としてはとってもありがたいけれど、ちょっと″お節介″と感じるようになったのも成長です。
そんなお友だちからも刺激を受けて、懸命に知識を吸収しようと、気になる絵本や雑誌を持って私の膝に座ったかと思うと、私の指をつかんで「これ、これ」と言って物の名前を尋ねます。
ことあるごとに私の指をつかみ、自分の好きな場所まで引っ張ります。嬉しい思いを共有したいのでしょう。満足するまで付き合います。
そういえば、生後間もないときも、保育器のなかで私の指を強く握ってくれたっけ。「ちゃんと生きているよ。ずっと見守っていてね」というメッセージだと受け取りました。
あの日も、今も自らの意思で歩み続ける息子。その姿に励まされてきたのは、他でもなく私自身です。
生まれてきてくれて、ありがとう。
生きていてくれて、ありがとう。
これからも、ずっと見守っているよ。
[4回]
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